治法・治療の原則

※これから出てくる方剤の中で、採用方剤以外の方剤は[  ]で囲みます。

弁証論治の過程において、まず四診の望、聞、問、切で得られた証候の情報を基に、漢方理論を運用して疾病を見極め診断を確定し、その診断を根拠として治法を決め、治法に該当する方薬を用いて治療を進めていく、これが漢方の治療法である。
漢方治療で大切なことは、四診で得られた数多くの情報を漢方理論によって整理し、疾病の本質並びに変化の規律を明確に弁証して該当する治法を決定し、それに見合った方薬を投与して、人体の陰陽の平衡を回復させ健康に導くことである。
治法を決定するに当たって重要なことは、根拠となる弁証が正確でしっかりしていなくてはならない。正確な弁証を得るためには詳細な四診が必要となる。つまり四診、弁証、治法は一体のものであり、いずれもおろそかにできない。

治療の前にまず疾病の陰陽、表裏、寒熱、虚実、臓腑、気血、標本、先後、緩急、従逆を分け決定しなければならない。このことは方薬決定、ひいては疾病を治癒に向かわせるか悪化させるかの分かれ道になる。
一般に、陰虚のものには陽薬(温熱薬)を用いてはならない。陽薬を用いると陽盛になり、陰は更に虚してくる。陽虚のものには陰薬(寒涼薬)を用いてはならない。陰薬を用いると陰盛になり、陽気はますます損傷を受ける。病が表にあるときは裏を攻めてはならない。裏を攻めると裏虚になり、邪がすんなりと裏に侵入してしまう。病が裏にあるときは表を虚せしめてはならない。表を虚せしめると大汗出亡陽(陽気が衰え尽きる)となる。
外寒では辛温解表(性味辛温の方薬を使用して、発汗によって表証を治療する方法)するのがよく、内寒では甘温がよい。
虚証は一日ではならないので、治は急いでは駄目で、また実証は急に進行するので、治療はゆっくりしてはいけない。
気、実すればその実を打ちこわし、気、虚すれば補う。標が急なものはその標を治し、本が急なものはその本を治す。慢性病の場合はその本を治療するのが一般的である。

1.標と本

標と本は広い意味をもっている。病人から見れば、正気が本であり、邪気が標である。疾病から見れば、病因が本であり、出てきた種々の症状が標である。発病時間から見れば、先の病や持病が本であり、後から出てきた病あるいは新病が標である。
「病を治すには必ず本を求む」というのが、一般的治療原則であり、病を治療するに当たっては、まず人体に害を及ぼす主な症候の根本原因を解くことが主であるが、この原則は一律に運用することはできない。病状の軽重緩急や人によって、臨機応変に治法を選択しなければならない。
同じ「標」同じ「本」の病であっても、臨床に現れている証の軽重緩急によって、「本」から治療するか「標」から治療するかの先後を決めなければならない。これの選択を誤ると、治法そのものは間違っていなくても返って病が重くなったり効き目が現れなかったりする。
たとえば実証では邪気が本であり、正気が標である。治療では、はじめにその邪を攻め本はそっとしておくと、邪が去れば正は自然に安泰になる。虚証では正気が本であり、邪気が標である。治療では、はじめに正気を扶け、後からその邪気を治す。これが原則となっている。
歴代の医学家は、「急なればその標を治し、緩なればその本を治す」といっている。「急なればその標を治す」とは、病の発展経過中危急の証候が現れ、病人の安全に危険が及んだ場合は、まずはじめにその標を治して解決し、その後で本を治療する。
「緩なればその本を治す」とは、慢性病や病状が比較的穏やかなときには、その症状群を根本的に取り除いて疾病を治療する。
たとえば土の表面を削り取るようにして草を刈り、根を除かなければしばらくしてまたはじめのように生えてくる。根こそぎ取り除いて生長の源を絶てば、症状も根本から消えてしまう。
《素問》に「間なるもの(病勢が緩やかで比較的軽くかつ症状が多いもの)は併行すべし」とある。このような場合は標本同時に治療しなければならない。

2.従と逆

《素問・至真要大論》に「逆は正治、従は反治」とある。方薬を用いる場合、証候と反対の性質の方薬を用いて治療することを「正治」といい、証候と同じ性質の方薬を用いて治療することを「反治」という。
たとえば熱病に寒薬を用い寒病に熱薬を用いるのは正治であり、熱病に熱薬を用い寒病に寒薬を用いるのは反治である。

3.臓腑の補瀉

臓腑の補瀉は色々の疾病を治療する漢方独特の治法であり、多くの場合はこの方法で満意の治療効果をあげている。
人体は臓腑の間の密接な相互連係、相互影響、相互作用によって正常な生理機能を営んでいる。
病理的状態においては、この臓に病があるときしばしば他の臓に影響を及ぼし、また反対に他の臓に発生した病変がもともとの病の臓腑に影響を与えるというように、臓と臓、腑と腑、臓と腑の間は複雑にからみ合っている。
「臓象」の項で前にも述べたように、これらの関係を五臓間の生克制化関係で治療に運用する。
「虚すればその母を補す」、「実すればその子を瀉す」、「水を壮んにして陽を制す」、「火を益して陰を消す」などがある。

この理論は五行配当の五臓の生克制化関係よりきている。虚証は固より補益すればよいのであるが、直接該当臓を補益する以外に、間接的にこの臓の母臓を補益する。
たとえば肺と脾の間で、脾は五行では土に属し肺は金に属する。相生関係から見れば土はよく金を生じ、脾は肺の母であり、肺は脾の子である。肺気虚弱のときは母臓の脾に影響を及ぼし脾気虚弱になる。この場合、脾を補益して営養状態が改善されると、虚弱な肺も元気を取り戻して、その疾病の治癒が促進される。これが一般にいわれている「補土生金法」である。

慢性気管支炎には種々の類型があるが、大多数は「脾気虚弱」と関係があり、久咳では必ずといってよいほど脾気が損傷を受けている。
肺は気を主っており、気の来源は脾の働きに頼っている。もし脾が益気できないと肺気虚弱をひき起こす。肺気が虚弱になって不足をきたすと、その不足を補うために「子は母気を盗む」(肺は肺気の不足を補うために、仕方なく肺の母臓である脾の脾気を盗み取る)ということになり、脾気もまた虚して脾虚になって「益気」できなくなり、それにつれて肺気は更に虚してくる。
別の面から考えると、「脾は生痰の源、肺は貯痰の器」である。脾気虚になれば痰を生じ易く、痰が多くなり肺の負担はますます重くなって、咳喘多痰、肌肉消痩、反復発作を起こしいつまでも続く。脾気が充足すれば肺気もまた充足する。更に脾気が充足すればよく湿を化すことができ、痰は生じなくなり、肺は貯痰の器でなくなり、自然と咳喘はおさまるものである。
これを「補土生金法」といい、六君子湯が基本方剤となる。裏を返せば六君子湯は脾が主、肺が従、の気虚で、湿、痰のある方剤ということができる。

「実すればその子を瀉す」とは、肝木は心火を生じ、肝木は母で心火はその子である。もし肝実証であれば、直接肝を瀉せず、肝木の生ずる子である心火を瀉さなければならない。肝が実火の証で、頭痛眩暈、耳鳴、急躁易怒、顔面紅目赤、脇肋灼痛、小便黄赤、口苦、大便秘結、苔黄、脈弦数があれば、心火を瀉す治法を用い、三黄瀉心湯などを用いる。
これらは虚の場合も実の場合も、臓腑の病変の間接的治療法である。

「壮水は陽を制す」は、腎の治法の一種である。腎は水を主り、壮水とは腎陰不足を補うためにひからびた腎陰を補益強壮して滋養するという考え方である。
腎陰虚弱になると、陽気を制御できなくなり「陽亢」の証候が出現する。たとえば頭昏目眩、舌燥咽干、潮熱顔赤、耳鳴歯痛などの症状は、見た目には実熱証に似ているが、実際は陰虚陽亢、虚火炎上の証である。
治療にあたっては、不足の腎陰を滋補してひからびた陰をある程度の水で潤してやると、陰陽平衡になって陽を制することができ、上炎した虚火は自然に消える。
これは陰不足のために起こったのであり、実熱の火証ではない。ただ陰分の不足を補えばよいのであって、みだりに陽気を寒涼方薬で押さえ込んではならず、陰陽の平衡を回復させればよい。この場合は六味地黄丸などを用いる。

「益火は陰を消す」は、「壮水は陽を制す」とは反対の治法である。これは腎陽の不足によって温化が無力になってひき起こされる一種の「陰盛」の証候であり、この陽虚内寒を生ずるのは陰気過盛の証ではない。
治療にあたっては、扶陽を以てすればよく、八味地黄丸などを用いればよい。腎陽が正常に回復すれば、自然に「陰盛」の証候は治まる。

4.特殊な治法

人体は正常な生理的状況下でも病理的状況下でも、一つの有機体として働いている。ある個所に病が生じると他の個所に影響を与える。
特殊な治療とは、この生理的機能と病理的変化の相互関係の特徴を利用し、状況に応じて病変の部位を用いて、治療を進めていく方法である。


back