病機十九条

病機とは、病因、病位、疾病の推移中の様々な変化をいう。
疾病発生の原因はなにか?
その性質はどうか?
病理的変化はどうなっているか?
などを外に現れた客観的症状を通して、その本質を認識する必要がある。
そうして「治病は必ず本を求む」という考え方に立って、正確な疾病の本質を判断し、有効な治療を施さなければならない。
複雑な様々な症状を分類し、違った症状や同じような症状を一種類の病機として整理し、ある病因やある臓にまとめ、十九条にしたものが「病機十九条」である。
病機十九条は《素問・至真要大論》の中にあるが、元代の劉完素が「諸渋枯涸、乾勁皺掲、皆燥に属す」の一項を補充し、二十条とした。
これは大変大雑把な分類法であるが、後述する各種弁証法の基礎となる重要なものである。

1.「諸風掉眩<トウゲン>、皆肝に属す」

身体が動揺して安定せず、頭のふらつき、めまいなどの症状は、多くは肝経の疾病である。以降、各項に出てくる「皆」の字は「多くは」と解釈した方がよい。
陰陽五行では、肝は五臓の一つであり、五行中では木に属し、五気中では 風を主り、五志では怒である。したがって、疾病中に現れる身体の動揺や頭のふらつき、めまいなどの症状は肝の部類にはいる。怒はよく肝を傷つけるが、肝が傷つけられると横逆して火と化し、肝火旺盛になって風を生じる。これは邪気の有余の実証である。
また別の状態の肝自身の病ではなくて、腎水不足によって肝を涵養できなくなり、肝の陽気が偏盛して頭部のふらつきやめまいが起こる場合は、正気不足の虚証である。
病状が実であっても虚であっても、皆肝病の範囲にはいる。ここで指す「風」は「内風」にあたり、その主要矛盾の根本となるものは肝血虚損である。
陰虚になると陽盛が起こり、陽盛では熱を生じ、熱がひどくなると風を生じる。この種の風病では、先ず養血を以てすべきであり、「風を治すには先ず血を治すべし、血行れば風自ら滅す」といわれている。疾病は千変万化で複雑にいりくんでいる。病にも多種多様あって同じ症状でも違った病の場合もある。めまいや頭部の動揺感があるからといって全部「風」や「肝」と考えることはできない。
たとえば、メニエル氏病ではめまいが主症であるが、一概に肝風だけとはいわれない。ほかに腎虚、気血不足、湿痰によるものもあり、病の本質をよく見極めて治療にあたらなければならない。高血圧の場合のめまいは、肝に属するものが多い。

2.「諸寒収引、皆腎に属す」

収引とは筋骨や関節の屈伸不利を指す。この項目は「寒」の一字に着目しなければならない。筋骨や関節の屈伸不利は寒邪や陰寒の証によるものであるが、その責は腎によるものである。腎は五行中では寒を主り、その主な機能は精を蔵し、水を主り骨と関係がある。関節や筋骨の活動は、気血の潤養、陽気の温化に頼っており、気血の流れがよくなると関節は滑らかに動くようになる。
《霊枢》に「経脈は、気血を行らし、陰陽を営し、筋骨をぬらし、関節を利するものなり」とある。また《素問》に「気血は、温を喜び寒を悪む、寒すれば泣きて流れず、温すればこれを消して去らしむ」とあり、このように気血、陽気が関節の滑利に重要な役割を果たしている。
気血が関節を潤養し関節に陽気の温化が到らなかったり、気血が寒によって凝閉して順調に流れなかったりすると、勢い筋骨、関節の活動に影響して病態が発生する。
腎は水を主り、寒に属し、寒は凝閉の性質があり、気血が凝滞すれば寒をひき起こす。寒邪が経絡に侵襲したり腎陽が衰弱したりすると、温めることができなくなり気血がスムーズに流れなくなって、筋骨は潤養を失し、収引の症状が発生する。治療方法としては、気血の流れをよくし、寒邪を温化する方法がとられる。
収引の病は、ただ寒だけで起こるものではなく、たとえば「痺証」<ヒショウ>(身体の痛みの病。神経痛、リウマチ、関節炎、筋肉痛など)のように、風、寒、熱、湿の邪気が交じり合って発生する場合があるので、「寒」だけに固執してはならない。

3.「諸気*ふん鬱<フンウツ>、皆肺に属す」

*ふんとは喘急上逆し、鬱とはつまって塞がり通じないことである。ここでは「気」が鍵を握っている。*ふんと鬱は気の流れが滞って起こる。気は肺が主っているので、気の働きが順調にいかなくなると呼吸が促迫し、胸部がつまって塞がったようになる。これは全部肺の責である。
《素問》に「肺の病は、喘咳気逆す」、「百病はみな気より生ず」とある。肺の主な機能は気体の交換であり、呼吸を司り清を吸い濁をはき出しているので、呼吸系統の疾患で咳や気喘(呼吸困難)が現れるのは、肺の粛降作用の失調、気機の不利によるものである。
風寒が肺を犯すと気管が塞がって肺気が広く発散できなくなり、咳嗽気喘し、うすい痰が出る。
風熱が肺を犯すと肺の粛降機能が失調し、咳嗽して粘っこい黄色い痰を吐き、息切れして喘し、胸脇が痛くなる。
肺虚では、呼吸が弱く、声は低く、喘しても力がなく、顔色は白っぽい。
肺実の場合は、喘息して荒々しい呼吸をし、胸が張る。
鬱は気機の不利によるもので、肺気が鬱結して発散できないからで、多くの場合咳嗽と気喘が同時に起こるのは、呼吸促迫し上逆した結果である。
肺は五臓の華蓋で上は咽喉につながり、鼻に開竅し、外は皮毛に合し、呼吸を主っている。肺が邪の侵襲を受けると、肺気は塞がり、粛降の機能を失って、気が胸中に鬱し、息がつまったような感じになる。このような状態を「鬱症」といい、多くは精神的なものからひき起こされた五臓の機能の不和によるもので、肺と関係があるといっても、すべて肺に属するとは限らない。
哮病(俗に気管支喘息など)と喘証の違い
哮病喘証
一つの独立した呼吸促迫の疾患 急・慢性病の経過中に併発する呼吸促迫の症状
発作時に必ずゼーゼー、ヒューヒューという咽喉の症状がある なし
単に哮ともいい、哮喘と呼ばれる 

4.「諸湿腫満、皆脾に属す」

湿とは水湿が体内に余分に貯まった状態をいい、腫満とは浮腫や腹部脹満を指す。水湿の邪によって腫満(皮膚では浮腫、腹部では脹満)を生じるのは、体表体内を問わず、多くは脾の運化機能の失調の責である。
脾の主な機能は運化と統血である。脾の水湿運化機能が失調すると、水湿が組織中に停滞して腫や脹満となる。湿や腫満は主に脾の機能によって左右されるが、腎(水を主る)、肺(気の粛降を主り、水道を通調する)とも関係している。
水湿の生成には内外の区別があるが、ここでは内湿のことである。内湿を除くには、脾の機能を高めて運化を助けること以外に、腎、肺の機能にも目を向けることが重要である。

5.「諸熱*もう*けい、皆火に属す」

*もうとは昏迷、昏睡のことで、*けいとは痙攣のことをいう。疾病で*もう*けいを起こす原因は数多くあるが、「火」もその一つである。いわゆる「火」とは熱極の表現である。
突然高熱を出し、それが長く続くと人体にひどい影響を与えて、痙攣や昏迷をひき起こす。
現代医学的にいえば、平常時は体温調節中枢によって体内における温度産生と、体表からの温度放散というバランスを一定に保つようにコントロールされている。この温度産生と放散のコントロールは温熱受容器というレーダー装置から送られてくる刺激により、視床下部が調節するしくみになっている。
発熱殊に高熱が起こると、この熱の産生と放散の機能に障害が生じ、熱の産生と放散のバランスがくずれる。高熱が起こると体温調節中枢の興奮、ついで抑制が発生し、興奮時には痙攣、抑制時には昏迷が現れる。
漢方医学では、熱邪は心神を傷つけ、心神が傷つけられると昏迷が発生する。高熱は津液を消耗し、肝血は灼傷され、血が筋を養えなくなって(肝は筋を主るので)痙攣が発生する。
このような現象は暑病や温病での「逆伝心包」のときによくみられる。
痙攣や昏迷で高熱がない場合は、「火」に属さない。たとえば、小児のひきつけや脳溢血などの脳血管障害での痙攣や昏迷は、「火」に属さない。
「火」に入れる*もう*けいでは必ず高熱があることが条件になってくる。

6.「諸痛痒瘡、皆心に属す」

皮膚の瘡瘍(できもの)は赤く腫れていなくても、多くは心の責任である。瘡瘍は皮膚の疾患であるが、陰陽の二大類に分けられる。
心の機能は主として、神明を主り(神を蔵す)、血脈を主り、五行の中では火に属している。瘡瘍ができるのは、多くは気血の不調、経脈の壅滞などによるもので、血と火によって皮膚に瘡瘍が発生する。
《霊枢》に「営衛経脈の中に稽留すれば、血泣して行らず、故に熱す。火熱止まず熱勝てば肉腐る、肉腐れば膿となる」。《外科全生集》に「膿の来たるや必ず気血による。気血の化、必ず温による」とある。
これによっても分かるように、気血の不調がなかったなら気滞血凝して熱毒(細菌感染)になることもなく、瘡瘍も起こらない。火に属し血脈を主る心は、瘡瘍発生での重要な原因の一つである。
痒と痛との違いは、火熱の程度の軽重によるものである。李念莪(明代末期の名医)は「熱甚だしければ瘡痛し、熱微かなれば瘡痒す」と。
臨床上、瘡瘍がひどくなって熱毒が身体内部深く侵入し、神明(大脳の中枢神経)に影響を与え、危険な状態に陥ることがある(敗血症など)。
皮膚掻痒ではじんま疹のように血熱風を狭む、血虚に風が乗じてなるものが多い。治療には清熱解毒涼血、養血去風がよく効を奏する。正気不足や正気衰弱で起こる腎髄炎などは、心に該当しない。

7.「諸厥固泄、皆下に属す」

厥とは人事不省や四肢のひどい冷えをいい、固とは大小便の不通、泄とは大小便失禁をいう。厥証は突然昏倒して人事不省になり、四肢のひどい冷えが起こるが、しばらくして覚めるといった一種の病証のことをいう。
大きくは寒厥と熱厥に分けられる。

寒厥熱厥
陽気の虚衰によって起こる陰虚になり、陽気の太過によって起こる
初めから手足のひどい冷え初め熱、後から冷え
温めるのを好み、寒さを嫌う冷やすのを好み、温めるのを嫌う
うずくまり、話すのがおっくうで静か手足をばたつかせたり、いらいらする
腹部の冷え腹部の熱感
脈 微細脈 滑数
下痢便秘

《素問》に「陽気下に衰えれば寒厥となり、陰気下に衰えれば熱厥となる」とある。陽気が衰弱し、陰気が太過し、陰陽失調し、気血不和になり、陰陽の間の正常な関係がくずれると「陰勝てば陽病す」という状態が現れる。これはちょうどかまどの中に火がないかほんの少ししかなく、鍋の中の水が温まらないのと似ている。経脈が寒によって凝滞し、塞がれて四肢が冷たく温まらず、ひどい時は昏睡して人事不省になる。
熱厥の場合は、邪熱が内にこもって陽気が鬱して伸びず、内熱が極まって津液を灼傷し、気の流れが塞り、四肢がひどく冷える。このときは陰虚になり、陽を制することができなく陽気の太過になり、熱の極に達し、その熱が内伏し、表に伝わらなくて厥証を生じたものであり、寒厥の成因とは異なる。
寒厥と熱厥とは、いずれも下焦の腎中の陰陽の偏盛、偏衰で起こったものであり、「皆、下に属する」ということになる。
大怒によって肝が傷つき、気血上逆して昏倒し、人事不省になるような場合は、下焦の腎には属さない。
大便秘結は、主として胃腸中の津液が枯少して、糞便が燥結し、出にくくなることが多い。張景岳は「秘結するのは陰陽の熱(胃腸の熱のこと、実熱裏証)のほかはみな腎による」といっている。

どうして便秘は腎によるのだろうか?
張景岳は「蓋し腎は二陰を主り開合を司っている」といっている。《諸病源候論》に「邪、腎にあればまた大便難せしむ、しかる所以のものは、腎臓邪を受けて虚し、小便を制するを得ざれば小便利す。津液枯燥し、胃腸乾渋す。故に大便難す」といっている。臨床上、腎水不足で腸中の津液が枯涸して便秘するのは、多くの場合腎の責任である。
大便泄瀉の原因には色々あるが、主に脾と大・小腸によるものが多い。
また腎瀉に俗にいう「五更瀉」があるが、これは腎陽虚で、腎の閉蔵作用の失調によるものである。張景岳は「腎中の陽気が不足すれば、命門の火が衰えて陰寒が独り盛んになる。それで夜明けの陽気がまだ回復しない陰気の最も盛んな時刻に洞泄<ドウセツ>(下痢)が起こる」といっている。この泄瀉は腎が原因である。
排尿困難は多くは腎と膀胱の病変である。これら二つの生理機能には密接な関係があり、腎は一身の水分を主り、膀胱は尿を貯めておく器官で、排尿困難の疾病はいうまでもなく腎と膀胱の機能異常である。腎と膀胱の機能失調には種々の原因があるが、腎が傷られたり、膀胱に熱が鬱積したり、外傷によるもの等々がある。
小便失禁は膀胱括約筋の異常や、神経系統の障害によって起こることが多い。多くは病後の体質虚弱や神経系統の異常時に発生し、腎陽虚のもの、幼児や老人の多尿や遺尿がこれに属する。
以上のことをまとめると、厥、固、泄はみな腎と関係がある。腎は下焦にあるので、みな下に帰属する。しかし、これらを一概に腎の範囲に入れてはならず、腎以外のその他の臓腑と関係するものもある。

8.「諸痿喘嘔、皆上に属す」

痿とは身体の筋肉がゆるんで軟弱無力動作が緩慢になることで、喘とは呼吸促迫して咳き込み、嘔とは嘔吐のことである。痿証の病因、病機には次の五つがある。

ここでいっている痿とは、その中の肺熱津傷をいっている。
《素問・痿論》に「肺熱葉焦、皮毛虚弱急薄、著しいものは痿躄 <インク>を生じる」。
《儒門事親・巻一》に「痿の状をなすや・・・総じて肺、火を受け熱、葉焦の故により、四臓に相い伝わり、痿病成る」。温熱の邪を受けて、肺熱が熏蒸し肺葉が焦げて、痿証が発生するといっている。
また《素問玄機原病式》に「手足痿弱、収持する(持つ)能わず、肺金もと燥により、燥がために病となり、血液衰少し、百骸(全身)を営養す能わざる故なり」。
《景岳全書》に「肺は気を主り、営衛を行る、故に五臓の痿はみな肺気熱により、五臓の陰みな不足す、痿躄(痿証)肺に生ずるなり」とある。
燥邪が肺を傷つけて、津液が枯れるのが痿の原因の一つであるといっている。総じていえば、痿証の発生は肺熱が陰を傷つけ、病因は色々あるが、陰虚内熱が、統一された病ということができる。
喘証は3.「諸気*ふん鬱・・・」の条ですでに述べている。
ここでは、喘の肺と腎の関係について述べる。腎陰虚や腎陽虚でも喘が起こる。病は肺にあるが、根本原因は腎にある。たとえば腎不納気である。治療では一概に肺だけではなく、必要に応じてその根源の腎にも眼を向けなければならない。
嘔吐は19.「諸嘔吐酸、・・・」の条に出てくるが、これは主に胃と肝の病である。しかし気機不利によって起こる嘔吐は、上焦の肺に組み込まなければならない(たとえば百日咳によってひき起こされた嘔吐など)。
現代医学でいう「肌無力症」はこの説とは関係ない。

9.「諸禁鼓慄、神守喪うが如し、皆火に属す」

歯をくいしばって、全身振るえ、不安や昏迷するのは、多くは火に属する。このような症状は湿熱病の転変の際によく起こり、火邪が内にせまり、熱の極に達して陰を灼傷し、陰が枯れてしまい、それにつれて正気不足を生じ、陽も脱して陽虚になり、深い寒を生じ、「熱極假寒」の「真熱假寒」の現象が起こる。
火邪が裏に入り抑鬱されてかたまると、この時点では表熱はあまり顕著ではなく、かえって寒慄が現れる。この時の寒慄は假象である。正確に本条を理解するためには、前の句すなわち歯をくいしばる、全身の震えが先ずあり、ついで不安や昏迷の症状が現れるという現象が、「火」の範囲に属することを知らなければならない。
この現象は熱性病に属しており、はじめ高熱があってしばらくして戦慄や歯のくいしばり、不安、昏迷が現れるものである。ただ戦慄や歯のくいしばりがあって、精神的病態がないときにはこの条に入れるべきではない。
風寒にあたって邪が表に客しているような場合(たとえば感冒)、陽虚陰盛では一時的に戦慄が現れることがあるが、これは「火」に属するとはいわない。
この条は「真熱假寒」が鍵といわなければならない。

10.「諸痙項強、皆湿に属す」

清代・呉鞠通は《温病条弁》の中で「痙病の原因は、《素問》で「諸痙項強、皆湿に属す」とあるが、この湿の字は大変疑わしい。風の字を誤って湿の字にしたのではないだろうか。六気みな痙を致す、風は百病の長、風によって痙病を現し人を傷つく。風みな強直不柔の象、湿性は下行して柔、木性は上行して剛、単に湿の字を以て諸痙を包括することができようか?」といっている。
臨床上呉鞠通のいうように、単に湿だけによって痙病になるものは大変少ない。

11.「諸逆衝上、皆火に属す」

下行するのが健康時の一般的生理機能であるのに、反って上逆するような状態を「諸逆衝上」という。
たとえば、肺と胃の気はもともと粛降下行するのが一般的生理現象であるが、ひとたび肺と胃の機能に異常が発生すると、下行できなくなり反って上逆し、咳喘や嘔吐が起こる。肺燥熱時の喘息咳嗽、胃熱時の嘔吐は、いずれも火邪による損傷の結果である。しかし一概に「衝逆」を火に属するものであるときめつけてはいけない。
張景岳は「嘔家に火症ありといえども・・・凡そ病嘔吐するもの、寒気胃を犯すもの多し、故に胃寒のもの十中八九、内熱のもの十中一二に過ぎず」といっており、また「火、中焦にありて嘔するもの、必ず火証火脈あり、熱渇し、煩躁し、脈必ず洪数<コウサク>(力強く速い脈)、吐必ず勢いよく吹き出、身体も声も強健、火に属する如し。その火を降すれば嘔必ず自ら止む」ともいっている。
咳嗽についていえば、喘息には虚実寒熱の証があり、衝逆の証には火で実に属するもの、寒で虚に属するものなどと様々ある。ただ火は衝逆の証の色々ある原因の一つに過ぎない。嘔吐の時、脈が沈んで弱く、吐く時の声が低く弱々しいなどの場合は、虚寒の現象であるので、この条の「火」に入れてはならない。

12.「諸脹腹大、皆熱に属す」

脹満腹大の原因は一つではなく、大変多くの分類がある。《霊枢》に「真邪(真気と邪気)相い攻め両気相い搏ち、合して脹となる」、《医宗必読》に「陽証多くは熱、熱多くは実、小便黄赤、大便秘結は実・・・、脈滑数有力(滑るようで速く力がある脈)は実・・・、顔色赤く呼吸が荒いのは実・・・。陽邪は変化が速く、暴発し、短期間に発症する。
陰証は必ず寒、寒証は多くは虚・・・、小便清白、大便溏泄(軟らかいか下痢)は虚・・・、脈弦(弓のつるを張ったようなピンピンした脈)浮(手で触れるとすぐ分かる浮いた脈)微細は虚・・・、顔色やつれて息切れするは虚・・・、虚証は酒色過度や精神抑鬱が日に日に重なって起こったもので、長い月日を経て次第に発症する」とある。
治療にあたっては、暴病は実が多いので、正気が虚しない前に急いで攻邪するのが早道である。
しかし病が長引いて正気が衰えているものは、攻邪するとよくならないばかりか反って正気を損傷してしまうので、扶正をしながらゆっくり駆邪するという法をとらなければならない。
このように腹大脹満には虚実寒熱があるので、それぞれ違った治療法をとらなければならない。
《素問》に「風行流行し、脾土邪を受け、民病*そん(孫)泄<ソンセツ>(肝鬱脾虚、清気不昇、大便清稀溏泄、消化不良、腹鳴、腹痛)を病む、食減体重、内熱により煩悶し、腸鳴、腹満す」とある。
これは気候の変化によって人が邪を受け、邪が裏に入って鬱して熱と化し、腹大脹満を起こすといっている。
朱丹渓は「脾土の陰(脾陰)が損傷を受けて転輸の機能が失調し、胃が水谷を受けても脾が運化することができず・・・、清濁が混ざり合い気血の通路が塞がって、鬱して淤となり熱を生じ、気が化して湿になり、湿熱ともに生じて遂に腹満が起こる」と記している。
これは脾が原因で成ったものである。このほか、淤血や寄生虫によるものもある。内傷、外感にかかわらず、脾の運化の異常が起こって湿熱が生じたものであり、このような場合はみな「熱」の条に入れる。
腹大脹満の原因は多く、寒によるものも少なくない。李東垣は「大抵は寒脹多く、熱脹少なし」といっている。臨床に際しては、実際の証をよくみてその属性を決めなければならない。

13.「諸躁狂越、皆火に属す」

躁とは煩躁(胸中が熱くて不安なのを煩といい、手足をばたつかせることを躁という。いらいらのこと)、狂越とは発狂して異常なことであり、自分で精神を制御できなく、精神異常の状態をいう。このような現象は火熱の灼傷によるものが多い。
《素問・陽明脈解篇》に「病甚だしければ衣を棄てて走り、高きに登りて歌い、あるいは数日食せず、垣根を越えて高きに登るなり、妄言みさかいなくののしる」とあり、これは熱が鬱して火となり、精神異常を起こしたものである。
張景岳は「凡そ狂病は多くは火による、思慮鬱結し、屈して伸びる所なく、怒って泄する所なく、肝胆気逆し、木火合邪となる」。これは精神抑鬱し、気鬱して火と化し、邪火が内に燃え盛り、津液を灼煉して痰となり、痰と熱が混ざり合って痰火旺盛し、心に影響を与えて精神異常を起こす。
精神的鬱結から火に変じたもので、「火」の条に属するものはみな実火の証であるので、治療に際してはその火を清するか瀉さなければならない。
久病は多くは虚であり、実火で起こった狂躁として亢盛した邪火を猛攻すれば、正気の虚をきたすので虚実の弁別が大切である。
一般に、心火は煩で胃火は躁であり、煩は熱の軽いもの、躁は熱のひどいものということができる。

14.「諸暴強直、皆風に属す」

強直とは筋肉が堅く拘攣した状態をいい、暴とは突然発生することである。突然発生する筋肉、腱の拘攣、硬直は風に属する。
風には内風と外風があるが、《素問》に「風、外より入りて、人をして振寒、汗出でて頭痛、身体悪寒せしむ」とある。外感病はこれに属するもので、外風といっている。
内風は、血虚になって肝を滋養することができず、肝血が筋肉を養えなくなり、肝陽が上亢して肝風内動を起こし、突然卒倒し人事不省になり、また手足の振るえ、顔面の拘攣などの証が発生する。肝は陰血の充分な滋養を受けると、陰陽平衡になり、正常な機能を営むことができる。
一旦、陰血が虚損すると、血は肝を養うことができず、陰血不足つまり陰虚になって、陰陽の平衡がくずれ、陰が陽を制御できなくなって肝陽上亢が起こり、必然的に風の象が生じ、肝の主る筋の異常が発生する。強直の発生は肝風によるものが多いが、風邪だけが原因で起こるとは限らない。火熱や痰湿によって起こることもあるので、よく発病原因を確かめる必要がある。

15.「諸病声あり、これを鼓いて鼓の如し、皆熱に属す」

腹部の打診時、腹脹して太鼓のような音がしたり、腸鳴(腹が鳴る)の症状がある一部の類型のものは熱に属する。
李東垣は「酒を飲み、おいしいものや栄養価の高いものをたらふく食べ、食事が終ってすぐ横になると、湿熱の気が化すことができず、腹部にたまって腹脹腹満となる」。また朱丹渓は「湿熱相い生じ、ついに脹満となる」といっている。
このような熱が体内にできるのは、湿熱のものの多食によって脾の運化が失調し、熱が鬱積して起こったもので、裏実熱閉の証候を呈する。
この熱は、甘いもの、おいしいもの、栄養価の高いものなどの過食によって、脾が水湿を運化できなくなって起こったものである。「諸病声あり、これを鼓いて鼓の如し」という病は、すべて熱に属するというのではない。臨床上虚寒に属するものも少なくない。
現れた症状を詳細に見て、その虚実寒熱を確定することが大事で、腹脹腹鳴の病だからといって、みな「熱」の条に入れてはならない。

16.「諸病浮腫、疼酸驚駭、皆火に属す」

この条は最も意見が分かれ、問題の論点は浮腫(全身)かそれとも足の背の腫脹か、諸説紛々としている。
全身性浮腫は急性腎炎などで見られるが、火に属するものは極めて少ない。また足の背の腫脹で火に属するものは、皮膚科の疾病を除いて非常に少ない。それでこの条は皮膚科の瘡瘍のはげしい疼痛に伴って起こる驚愕の現象と解釈した方がよい。
瘡瘍は陰陽寒熱に分類されるが、ここでは陽証、熱証を指している。
火邪が人体内に蓄積して、血分に鬱熱し、気血の道が塞がって通りが悪くなり、気滞血淤が起こって毒火が一ヶ所に聚る。これが長びけば、局部は赤腫灼熱し、腫れて痛み、膿をもって潰れ、全身寒気や熱が出て、ひどい場合はびっくりして恐れ、精神錯乱状態などの証が同時に現れる。
このような現象は膿毒による敗血症のときによく見られる。

17.「諸転反戻<ハンレイ>、水液渾濁<コンダク>、皆熱に属す」

「転」とは左右にねじる、「反」とはそり返る、「戻」とは全身が前に折りまがることであり、この三つとも筋肉攣急の現象である。「水液渾濁」とは小便の渾濁をさす。
《素問》に「過度の熱は、・・・溺<デキ>(小便のこと)色甚だ変ず」、張景岳は「陽亢し血傷つけば*けい(筋肉の拘攣)す」、李念莪は「筋脈の攣急は燥熱の致す所なり」といっている。経脈(気血運行の通路)の攣急する現象は急性熱病中に発生する。
転、反、戻は同時に起こることもあるが、単独で現れる場合もあり、主に病邪が何経を侵犯したかによって決まる。
一般に邪が太陽経を侵犯した場合は「反」、少陽経を侵犯した場合は「転」、陽明経に入った場合は「戻」の症状が現れる。しかし転、反、戻は熱によって発生するとは限らないので、随伴する兼証に注意しなければならない。熱によって起こる転、反、戻では「水液渾濁」があることが必要である。
急性熱病では、熱邪が内燔し、陰液の消耗が甚しくなり、熱が極まって風を生じ、精神症状(転、反、戻)が出現するほか、尿の濃縮、小便の出が少なく濃く濁った症状が現れる。一般に、尿量が少なくなり、顔色が赤くなるのは、熱がますます盛んになり陰液の傷耗がますます重くなったものである。
病人の尿量や顔色の度合は、疾病の寒熱やその程度の判断材料になる。単に「水液渾濁」のみで、一概に「熱」ということはできない。先ず、外感か内傷かを確定し、更に虚実を決めなければならない。
《素問》に「過度の熱は、・・・溺色甚だ変ず」とあるのは、外感病の実証である。《霊枢》に「中気不足すれば、溲便 <ソウベン>(小便)、これがために変ず」。これは内傷の虚証である。この二者は本質的に異なるものである。
戻労傷腎(過度の性行為や労働によって腎を傷る)や思慮傷脾(思いわずらって脾を傷る)によって「水液渾濁」を起こしたものは、熱証の部類に入れない。
以上のことをまとめると、急性熱病の過程中に転、反、戻があって、同時に水液渾濁のあるものは熱によるものである。転、反、戻と水液渾濁が単独に現れるのとは区別しなければならない。

18.「諸病水液、澄*せつ清冷、皆寒に属す」

この条にある水液は前の条に較べれば、より広い意味を持っており、大小便、鼻水、涙、唾液、嘔吐物を含んでいる。
「澄*せつ清冷」とは、排泄物が透明で色が薄く冷たい感じのすることをいう。病人の排泄物の変化の状態から、疾病の属性を判断する方法としては簡単で大変実用的である。病人が風寒を受けたときは鼻水は薄く、咳嗽痰は白く薄く、また風熱を受けたときは鼻汁は濃く臭いがあり、咳嗽痰は黄色く粘稠である。
胃中に寒があると、嘔吐物は多くは薄く水のようで、酸味も苦味もない。胃中に熱があると、嘔吐は黄色っぽく、酸味や苦味がある。不消化の大便は、ちょうど鴨の糞のように形を成しておらず、これは腸中に寒があるからである。大便の色が濃く悪臭がするのは、腸中に鬱熱があるからである。
小便が薄く量が多いものは内寒、小便の色が濃く少なく渋る感じのものは熱である。
体内に熱邪があると、津液の消耗は必然的に多くなり、大小便、鼻水、涙、唾液もこれにつれて自然に変わってくる。
寒は陰邪であり、陽気を傷つけ易く、寒も排泄物につれて出てくるので冷たく感じる。熱は陽邪で、陰液を傷つけ易く津液は傷耗され、熱も排泄物に従って出てくるので熱く感じる。

19.「諸嘔吐酸、暴注下迫、皆熱に属す」

「諸嘔吐酸」とは、嘔吐し吐出物が酸味を帯びていることをいい、「暴注下迫」とは、突然起こる一種の急性噴射性下痢のことである。
嘔吐や下痢は常に見られる症状で、単独で起こる場合は多くは単純な胃炎や腸炎であり、急性胃腸炎のように同時に起こることもある。嘔吐や下痢の原因は大変多く、その病機も様々であるが、ここで揚げているのは熱吐と熱瀉である。
胃は納谷を主り、食物を腐熟する。
《済生方》に「飲食を不節制し、温涼の調子が狂い、・・・あるいは夜露にぬれて風にあたって涼を取ると、胃の働きをみだし、胃は病になり、脾気は停滞し、清濁の分離がうまくゆかず、中焦がつまり塞がって、ついに嘔吐の患となる」とある。
《素問》にもっと詳しく述べている。「嘔するは、胃膈(胃部)熱甚しければ嘔をなす。火気炎上の象なり。吐酸し酸するは肝木の味なり、火盛制金により木を平にすること能わず、肝木自ら甚だし、故に酸をなすなり」。
このように飲食の不節制、寒熱の失調を問わず、外邪が裏に入ろうとする際に、肝火太旺して脾土を克傷すれば、嘔吐が発症する。
臨床中嘔吐、吐酸でも熱に属さないものもある。張景岳は「呑酸<ドンサン>(嘔吐のこと)に寒熱あれど、寒に属するもの多く熱に属するもの少なし」、「火衰え土を生ずる能わざれば、脾気虚し、肝邪これを侮る、故に酸をなすな り」。これは補火の理論を重視したものである。
嘔吐は寒熱に分けることができ、各々次のような証候を伴う。熱に属するものは、嘔吐は酸苦、口渇して冷を好み、小便黄、口唇乾。寒に属するものは、暖を好み寒を嫌い、食欲不振、四肢冷、大小便希薄、吐物は臭いはなく、口は渇かない。
「暴注下迫」の急性腹瀉(下痢のこと)は急に発症しひどく、肛門の灼熱感、急迫腹痛、口渇、大便悪臭、便色黄赤、小便短渋などの熱邪擾乱の象である。
久病で腹瀉が止まず、下すものは水っぽく、鴨の糞のようで、小便は薄く、暖を好み寒をきらうなどのものは虚寒に属しているもので、熱とははっきりと区別しなければならない。

・「諸渋枯涸、乾勁皴揚<カンケイシュンヨウ>、皆燥に属す」

諸渋枯涸とは、渋く滑らかでなく、枯れた状態。乾勁皴揚とは、乾燥してひび割れした状態のこと。
爪が変色して割れ、皮膚が乾燥してひび割れカサカサになり、唇が乾いて割れるなどは、多くは津液不足、燥邪によるものである。劉完素は「病機十九条」にこの一条を補入し、育陰保津法を提唱し、温病の発展に大いに寄与した。
皮膚や肌のうるおいは、みな津液が充満しているからである。その津液が充足されなかったら津液の不足をきたして、いわゆる燥象になってしまう。燥は脾胃にあっては、いくら食べても腹がすき、のどが渇き、口渇し、腸では大便が乾燥秘結する。
津液が枯れる原因は、大体火熱の邪が津液を灼傷して起こるものである。もともと陰血が不足し血虚の体質であったり、汗、吐、下法(治療法の種類)を使いすぎたり、誤用したり、温燥薬を使い過ぎて津液を傷つけたり、乾燥した環境ですごした場合によく起こる。

※「病機十九条」の運用例

疾病治療の弁証においては、順序だてて一歩一歩論を進めていかなければならない。まず患者がどこが悪いのか、その病の位置を知ることが第一である。この場合どの臓(腑)に属するかを知ることである。
「諸風掉眩、皆肝に属す」、「諸寒収引、皆腎に属す」・・・というように五臓によって病位が示されている。
その後、その症候の性質を知る必要がある。たとえば、「諸躁狂越、皆火に属す」、「澄*せつ清冷、皆寒に属す」などの例のように、火、寒、・・・という性質を決める。
次に同じ症候であっても、その中で性質は一つ一つ異なる場合がある。たとえば、「諸熱*もう*けい、皆火に属す」、「諸痙項強、皆湿に属す」、「諸暴強直、皆風に属す」・・・というように、同じ筋肉の痙攣の症状であっても、あるものは火に属し、あるものは湿に属し、あるものは風に属するというように、臨床症候は同じであってもその症候の性質はそれぞれ異なる。
また次に「諸転反戻、水液渾濁、皆熱に属す」、「諸嘔吐酸、暴注下迫、皆熱に属す」、「諸腹脹大、皆熱に属す」などのように、これらは嘔や吐や瀉や腹脹というように、臨床上それぞれ違った症候の例であるが、一症候の性質は皆同じ熱証に属している。
このように「病機十九条」の中から、各条項をよく理解し、病の本質を知ると同時にその推移を見極めて、治療に当たらなければならない。


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