臓象を学ぶことは、疾病の性質や発病のメカニズムをしっかりと捕らえ、弁証の進め方をよく理解して、疾病の治癒に到達する過程で大変重要なことである。
これを学ぶことは、むやみやたらに前進していくというのではなくて、弁証の基本を忠実に順守することにほかならない。
最初に漢方を学ぶ人は、漢方の理論に接して、ちょうど目隠しをして巨象のしっぽを握って、これは犬のしっぽである、あるいは豚のしっぽであるといっているようなもので、全体が巨象であることを知らない。
初心者は漢方の術語や語句に接して、チンプンカンプンで何も分からず、しっぽの長さ、太さしか理解できず、長い時間を費やし、また沢山の例を引いて何とか全体像を理解しようとする。
しかし悲しいかな術語−語句の意味は理解できても、全体像の象つまり漢方全体のしくみを知る由もなく、右往左往してさまよい歩き、途中で頓挫してしまったり、自己流に間違った道を進んでしまう。大多数の方はこのような経験をお持ちであろう。
これは漢方の理論が膨大で、かつ古代からの抽象論におおわれ、現代医学理論みたいに明確化されておらず、いまだに未完成だからである。
漢方理論体系において、臓象は基礎理論中の基礎であり、極めて重要な地位をしめている。
それ故、私達は漢方を学ぶに当たっては、数多くある基礎理論を一歩一歩理解していき、確固たる立脚点に立って、弁証施治を進めていかなければならない。このように堅実に歩みを進めていかないと、壁にぶつかり困難に遭遇した場合どうしようもなくなる。
ある人はこのような順序を踏まず、また時間の浪費や、無駄骨を折るというような考えから、近道をして早い方法はないものかと、いわゆる「病名漢方」などに走り、安易な道を選ぶ。
このように弁証をしないで病を治そうとすると病を治癒させる保証はどこにもない。
無駄なことを省いて近道をして早く治そうと思って、かえって目的を達成できなくなるようなことが起こるのは、弁証という原則をふまえていないからである。
今まで、六淫、気血津液、八綱、陰陽五行などの漢方の基礎を述べてきたが、弁証にあたってはまだ不足しているものがある。疾病中の人体の内部を詳しく知ることである。それには臓象を学ぶことが必要になってくる。
たとえば、「心」を例にとると、心の正常機能はどうか、人体のどの部位にあるか、「心」と他の四臓とはどんな関係か、病理的に疾病と関係があるか、あるとすればどんな関係か、などのことをよく学び、「心」の正常時の機能をよく理解しないと、異常時つまり病態のときの状態が分からない。
臓象の機能を徹底的に明確に熟知していないと、臨床にのぞんで臨機応変に今まで学んできた種々の基本理論を縦横に駆使できず、ひいては治療に支障をきたすことになる。
「臓」とは人体の内臓のことをいい、また貯蔵するという意味もある。「象」とは内臓活動の外部に現れた各種現象を指す。内臓には人体の腔内各種器官があるが、その中では臓と腑に大別される。
心、肝、脾、肺、腎は五臓といわれ、精気を貯蔵して外にもらさず、中はつまっている状態、「蔵して瀉せず」である。腑は胆、胃、大腸、小腸、膀胱、三焦の六腑で物を変化して中に貯蔵せず、空間になっており、「瀉して蔵せず」である。
このほか、心包絡というものがあるが、その機能は大体心と同じであるので、これは一腑として設ける必要はない。
五臓六腑のほかに「奇恒<キコウ>の府」というものがあるが、奇は異なる、恒は平常、つまり平常と異なるという意味である。その中には髄、脳、骨、脈、胆、女子胞(子宮)があるが、この機能は臓のようで臓でなく、腑のようで腑でもなく、ちょうど臓腑の間にあるような働きをするので、「奇恒の府」と名付けられている。
臓腑の活動によって、食物に含まれている営養物質を化生して、人体の生命活動の本となる気、血、精、津液が作られるが、反面、臓の活動にはそれらを作りだすエネルギーを必要とする。それが気である。
臓象学説の考え方は、整体という観点に立って各臓器の機能だけでなく、生理的、病理的な各種の反応をも包括している。総じていえば臓の機能は、ある系統の活動や作用を広く包括している。
たとえば腎は現代医学では、生殖、泌尿の二つの系統が大部分である。しかし臓象学説での腎の機能は生殖、泌尿以外に、骨、髄、脳、耳、髪、現代的にいえば免疫機能、ホルモン分泌とも密接な関係があり、他の四臓、心、肺、脾、肝とも相互依存、相互制約という関係をもっている。
また脾胃は現代医学では消化系統を主っているが、ほかに統血作用もあり、四肢や肌肉とも密接な関係がある。
臓腑の活動は全身にわたって有機的に結びついており、各臓腑が孤立的に働いているのではない。人体の生命活動は、内は呼吸、消化、循環、排泄、外は言語、行動、視覚、聴覚と様々あるが、これらは一つ一つ五臓六腑に統一されているわけではない。
人間の生命活動維持のメカニズムの解明には、臓と臓、腑と腑、臓と腑の対立と統一、相互依存、相互制約、生理上、病理上の密接な関係を熟知すると同時に、局所並びに全体像の詳しい診察が大切である。
臓象学説は前にも述べたように漢方理論の基礎中の基礎であるので、この理論を運用して、症状を分析し臓腑を調理すれば、疾病の治癒に到達することができる。
心は五臓の代表であり、広義と狭義の意味がある。狭義の心は現代医学の心臓を指し、広義の心は人体生命の代表で、各内臓器官がその統括のもとに機能を発揮して複雑な生命活動を営んでいる。狭義の心は血管や舌とも密接な関係がある。
血液を主る
心と血管は直接つながっており、血管は血液循環の通路である。血液は血管内を循環して営養物質や老廃物を全身に運んで新陳代謝の機能を営み、人体で最も重要なもので、このような機能は心の陽気の推動によるものである。
また血液の循環は心臓の収縮と拡張という働きにもよっている。とりもなおさず心は血液を主っている。
心の機能は心拍の状態によって知ることができる。心機能の異常時には、血液循環にはっきりした変化が現れる。このとき、血管内の血液量の変化が起こるだけでなく、心拍数、リズムも変わってくる。
心血不足のときの脈拍は細く速く弱くなってくる。細いのは血量が減少して血管内を満たすことができないからであり、心血不足を補うために心拍数を高めて血量を増やそうとする。それ故、心拍数は速くなる。血液が必要量供給されないので、脈は弱く力がなくなる。
心陽不足では、脈は遅く手にふれにくくなり時々止まったり、リズムが狂ってくる。心の陽気が不足すると、血液の運行を推動できなくなり、脈は沈んで手にふれにくく遅くなり、また止まったりリズムが狂ったりする。これが現代医学の期前収縮などである。
このほか、心の異常は顔色にもでてくる。気血旺盛であれば、心血充足して血色がよくつやがあるが、心血不足のときは顔色が青白くつやがなく、心陽不足や心血淤阻になると、顔色は紫色を帯び青黒くなり、これは心不全のときによく見られる。
精神意識、思考を主る
人の精神意識や思考は、大脳中枢神経の機能の働きによっている。人のこのような働きは心との関係が最も密接である。人体の心の生理機能が正常で、臓腑、気血が充足していれば、人の精神状態、思考も明晰である。
これに反して心の病変が生ずると、いらいら、もだえ、不安、動悸、不眠、多夢などが出現し、ひどい場合は昏睡などの意識障害や意識喪失、あるいは痴呆、発狂などの精神異常の症状が現れる。
心の生理、病理は舌の変化として現れる
舌象、たとえば心経有火の場合は舌尖赤、心血不足では舌淡赤というように、舌色の変化は血の多少、血流速度の速い遅いと関係がある。このような変化は、顔色の変化と同じ理由によるものである。
現代医学の肝臓であり、血液を貯蔵し血量を調節し、その性質は疎泄(散らす)を主り、のびやかを好み、筋や爪、眼と密接に関係し、精神感情とも深い関わりをもっている。
血液を貯蔵する
肝は血液を貯蔵しまた調節している。人体の休息時や睡眠時には肝臓に貯蔵され、活動時には全身の各組織に送り出し供給している。これは現代医学の肝のとらえ方と大体一致している。
肝の疎泄作用は精神状態と関係がある | 気持ちがのびやかで落ち着いていれば、人はおだやかでいつも情緒は安定している。しかし、情緒不安定や怒り易くなると肝の気を晴らす疎泄作用に影響して肝気鬱結が生じる。 これは、肝機能が影響を受ける病症で最も多い疾患の一つである。 |
肝の疎泄作用は消化機能と関係がある | 脾の運化は、脾気によって営養物質を全身の組織に輸送し、また肝の疎泄作用によって製造された胆汁を胆管に運んで行われている。したがって肝の疎泄作用に障害が発生すると消化機能に影響を及ぼす。 |
痛みと関係がある | 「通ぜざれば痛む」といわれるように、肝気が鬱滞すると気血の流通に影響を与えて、痛みが起こる。たとえば、肝病の脇痛などがそうである。 |
婦人の月経と関係がある | 「肝は血を蔵す」と子宮とは経脈を通じて関係しており、肝の疎泄作用が失調すると月経不順などの証候が現れる。 |
筋や爪と関係がある
《霊枢・九針論》に「肝は筋を主る」、《素問・六節臓象論》に「肝は・・・その華は爪にあり、その充は筋にあり」とある。
筋(腱)の営養は肝から得ており、筋は骨筋に附いて、筋の弛緩や収縮によって全身の筋肉や関節を自由に動かすことができる。それ故また「肝は運動を主る」ともいわれている。
《素問・上古天眞論》に「七八、肝気衰え、筋動く能ず・・・」。一般に男子が50才前後になると運動機能が衰えて、敏捷でなくなる。
目と関係がある
《素問・金匱真言論》に「孔を目に開き、精を肝に蔵す」とあり、視力の強弱は肝の虚実によっているといっている。
また、《素問・五臓生成篇》に「肝は血を受けてよく視」といって、視力は肝血の調節機能と関係があるとしている。目が乾いて渋く、視力減退、夜盲症などは肝血虚によるものである。
脾の主な機能は運化(輸送と消化)、統血を主り、四肢、肌肉(筋肉)、口唇と密接な関係がある。ここでいう脾の概念は、現代医学の脾とは大いに異なる。現代医学の解剖学的脾の作用のほか、消化系統の機能を包含している。
脾と胃を一緒にして「後天の本」と呼び、金元時代の名医「李東垣」は《脾胃論》を提唱して後世に多大の影響を与えている。
運化を主る
脾は運化を主るという意味には二つの面がある。一つは胃と共同して食物を消化し、飲食物の営養物質(精微)を全身の組織器官に輸送することである。
もう一つは肺、腎、三焦と共同して体内の水分吸収、排泄、つまり水分代謝の平衡を維持していることである。
飲食物が消化管に入るとまずかみ砕かれ、その後各種消化液(胃酸など)によって胃の中でドロドロとなり、脾(実際には現代医学の小腸の機能)に送られ、脾の処理によって精微物質が吸収され、次々と各組織器官に送り込まれる。吸収された営養分を含んだ水分精微物質はまず血液の中に入り、肺の作用を経て、心を通り全身の各組織に転輸される。このとき脾は食物中の精微を肺に「昇」(上に引っ張り上げる)する。それ故、「脾は昇を主る」といわれている。
また昔の人は脾を「倉廩<ソウリン>の官」といい、吸収した精微を貯蔵する倉庫にたとえた。脾のこのような飲食物の精微の吸収は、現代医学の小腸の機能とよく似ている。
飲食物中には固形の食物のほか、水分も含まれている。脾は精微を吸収する際に、身体に必要な水分も同時に吸収し、また余分の水分は体外に排出して、体内の水分代謝の平衡を保っている。脾の機能が失調すると、精微物質が吸収されないばかりか、体内に余った多量の水分がたまってしまう。そして病態が発生する。
また裏返して考えると、水分(水湿)の余剰は脾を傷つけることになる。このことから「脾は湿を悪<イ>み、燥を喜ぶ」といわれている。もちろん、水分代謝は脾だけで行われているのではなくて、肺、腎、三焦も関与している。
臨床上みられる営養分吸収不良で起こる疾病や、水湿過多による体内の水分貯留で発生する病態は、いずれも脾の調治を必要とする。
血を統<ス>べる
統べるとは統括する、制約するという意味である。血は飲食中の精微物質がいろんな作用を経て、転化してできたものである。
《難経・四二難》に「脾は裹血<カケツ>を主り、五臓を温す」とあり、「裹」とは、まとまりよく包んで離散しないようにするという意味で、脾気が旺んなときは血液を包み込んで保護し、血液の正常運行を維持して散溢させず、外に妄行させない。
脾の機能の運化が失調すると、血液は妄行して各種出血性の疾患が発生しやすくなる。
臨床上よく見られる吐血、衄血、血便などは、大部分が脾の統血不能によって引き起こされるものである。これによって「血を治すには先ず脾を治せ」といわれる。現代医学での脾は造血系統の重要な器官であり、血液との関係は極めて密接である。
四肢 | 飲食物の精微は化して気となり、脾気は津液を分泌して肺に上輸し、心臓を経て周身に血液を満ち溢れさせている。 《素問・五臓生成篇》に「足は血を得てよく歩き、掌は血を受けてよく握り、指は血を受けてよくつかむ」とある。 脾気虚弱や水湿が余分にたまった状態では、軽いときは四肢倦怠、身体無力、身が重く動きにくくなり、重くなると足は歩くことができず、掌は握ることができず、指は物をつかむこともできなくなる。 |
肌肉 | 《素問・陰陽応象大論》に「脾は肌肉を主る」とあり、脾の機能の良し悪しは全身の肌肉に影響する。脾が虚すと、食べることができなくなって痩せて、あるいは少食しても肥り、肥って四肢もあがらなくなる。「脾は肉を生ず」ともいわれており、豊満とか消痩は脾の機能と深い関わりがある。 |
口 | 昔から「口は脾の竅<キョウ>となす」、「脾気は口に通ず」、「脾、和(すこやか)すれば五味(酸、苦、甘、辛、塩)を知る」といわれている。口中の味覚異常は脾の機能の失調によるものである。 脾気の機能が正常であれば味はよく分かるが、脾虚では多くは何を食べても味がなく、脾虚で湿熱があるときは常に口中甘く、肝熱では酸っぱく、腎水があふれるものは塩からく、口が淡白に感ずるものは寒証、苦いものは熱証に属する。 このようなことから、口味は弁証の助けになる。 |
唇 | 《霊枢・五閲五使篇》に「口唇は脾の官なり」、《素問・五臓生成篇》に「脾・・・その栄は唇なり」とある。唇の色が正常なのは脾の健運の象徴であるといっている。 脾は益気生血を主っており、気血の虚や阻滞は常に唇の色沢に表れ、唇の絡脈(血管)は多いので、気血が充溢すれば唇は赤く潤っており、気血減少すれば淡白あるいは蒼白になる。気血鬱滞すれば暗赤青紫、脾気虚弱すれば唇が上にそりくりかえる。 このように唇の形態と色沢の変化は弁証診断にある意義をもっている。 |
肺は現代医学の解剖学的肺の機能すなわち呼吸を指すほか、身体内の各種気の機能つまり元気、宗気、営衛の気の生成や盛衰に深く関わっており、また皮毛、鼻、水分代謝、粛降、心の補助、血液運行とも密接に関係している。
気を主り、呼吸作用を営んでいる
肺は人体内外の気体交換すなわち呼吸の重要な器官である。自然界の天気を口鼻から肺中に吸入し、よごれた空気を体外に排出し、清濁の気の交換によって新陳代謝を営んでいる。
気は生存に欠かせない重要なものであり、生まれながらの先天の気から、一つは自然界の大気から、もう一つは飲食物中の気と呼吸の空気が一緒になった宗気から作られる。宗気は人体生命活動の源動力であり、その機能には二つある。一つは気体交換の進行で、声や言葉、呼吸の強弱と関係があり、もう一つは心と協調して血液循環を促進している。
それ故「気行れば血行る」、「気は血の帥」、「血は気の母」、「肺は一身の気を主る」といわれている。
飲食物中の精微の気はどうやって呼吸に関わっているのだろうか?飲食物中の精微の気は、肺中の気と一緒にならなければ人体に利用することができず、生命活動の維持ができなくなる。いわゆる「血、気なければ死血となる。気、血なければたより従うものがなくなる」となる。
肺内の血管網は極めて豊富で、気体交換という作業は血液循環によって進行している。それ故「肺は相伝の官(君主を助ける家来)、治節(調節)出づ」(肺は君主である心を補助し、互いに協調して正常な生理活動を行っている)。
粛降(スムーズに降りて行くこと)を主り、水分代謝を行っている
粛とは清粛、降とは下降の意味である。
《霊枢・九針論》に「肺は五臓六腑の華蓋<カガイ>(ふた)なり」。これは、肺は一番高い所に位置し、ふたのようなもので諸臓を保護しているという意味である。肺は高い所に位置し、気はまた軽いので昇散し易い性質があり、下の五臓六腑に附き全身を流通することができない。それで肺は下降気流を起こして上昇気流を押さえているような恰好である。
この場合もう一つの作用がある。「肺は気を主り、腎は気を納める」、「肺は気の主であり、腎は気の根である」。肺が気を下に押し込めると同時に、下にある腎が下の方に引っ張り降ろす作業をしてくれる。このように肺の降と腎の納という共同機能によって呼吸を行っている。
もし肺の粛降作用が失調すると、咳嗽、呼吸困難、胸悶脹満などの症が現れる。人体の水分代謝は単に脾の運化、腎の気化に関係があるだけではなく、肺の粛降とも密接に関係している。肺気の粛降によって、水液を膀胱に下輸して小便を通利し、水湿貯留の病態発生を防いでいる。粛降が不利になると、浮腫や小便不利、尿少などの症が現れる。
皮毛と鼻に関係がある
皮とは皮膚、毛とは皮膚上の細い毛のことである。皮毛は人体の一番外側の浅い位置にあり、体温調節、皮膚の潤沢、汗の排泄、水液代謝、外邪への抵抗に関与している。外邪が人体に侵襲すると、鼻汁が出たり、発熱、悪寒するなどはみな肺の病症である。
肺は呼吸を主っており、鼻は呼吸の出入口である。肺気が順調であれば、呼吸も順利であり、鼻の通利、臭覚機能も正常に発揮される。肺が疾病にかかると鼻は塞がり臭覚もきかなくなる。鼻の病でよく肺の治療を行うのはこのためである。
腎は左右一対、腰部に位置している。それ故「腰は腎の外腑」ともいわれている。その主な機能は、精を蔵し、納気、水液を主り、骨、髄、二陰、耳、髪と密接な関係がある。現代医学の腎臓とは同じでなく、広く泌尿系統、生殖、内分泌、脳の一部分の機能を具えている。
精を蔵す
精には狭義の精と広義の精の二通りがある。広義の精は五臓六腑の精気(後天の精)で、精微物質から得られ、生長発育を維持しているものである。狭義の精は腎自体の精気で、生殖の精(先天の精)といわれている。二者ともに腎に貯えられ、生長発育にたずさわり、生殖機能の本になるものである。
飲食物から吸収された営養物質は、脾の運化によって全身に転輸され、各組織に供与される。その中でまだ直接利用されない精微物質は腎に貯蔵され、必要に応じて随時各組織器官に供給される。
後天の精が充満すると、先天の精はそれにつれて自然に充溢し、人体活力の源動力となって生殖力も旺盛になる。先天の精が充足すると後天の精の生化が絶えず行われる。腎精が充実すれば腎気は旺盛になり、腎精が不足すればこれにつれて腎気も衰退してくる。狭義の精は腎精を指し、生殖系統の機能及び性腺をいう。
《素問・上古天真論》に「女性は七歳になると腎気が盛んになり、歯が生えかわり、14歳になると初潮が来・・・49歳では任脈は虚し、太衡脈は衰えて月経は止まり、生殖能力もなくなり子供を産むことができなくなる。男性は8歳になると腎気が充実し、髪の毛が豊かになり、歯が生えかわり、18歳になると腎気が盛んになり、精液が溢れ出て、性行為によって子供を作ることができるようになる。・・・64歳になると歯も髪も抜け落ちてしまう」。これは人体の生長、発育、老衰の過程であり、実際には生殖機能の過程でもある。
水液の代謝を主る
腎は水液代謝の管理と維持を行っている。このような腎の機能は現代医学の腎臓と一致している。
糸球体、尿細管、皮質、髄質などの機能はすべて「陰陽開合」という考え方で説明がつく。腎は体内水液代謝の恒常性を保つ重要な器官である。腎の体内水液の貯留、分布、排泄は、主に漢方理論の「陰陽開合」の作用に頼っている。「開」とは水液の循環と排泄を指し、「合」とは一定量の水分を体内に貯留し、需要に応じて各組織器官に供給することを指す。
「開合」作用は腎陽と腎陰の機能及びこの二つの協調作用によって決まる。健康な状態では、陰陽は平衡を保って腎気の「開合」も協調している。この場合、水液の代謝も恒常性を維持しており、水液貯留過多や排泄障害は発生しない。もし腎陽不足になれば、水液の気化作用が行われなくなり、腎の水門が開かなくなって排出に異常をきたし、水液が体内に蓄積されて浮腫が生ずる。腎気虚弱ではまた水門を閉じる力が弱くなり、尿量過多が起こってくる。たとえば糖尿病や尿崩症などがある。
一般に、腎陽が旺盛であれば水門はよく開き、腎陰が旺盛であれば水門はよく閉じる。これは陽は開く作用があり、陰は閉じる作用を主っているからである。もちろん、この腎の水液代謝はただ腎だけでなく、脾、肺、三焦と協調して行っているものである。
腎と骨、髄、歯、髪、耳、脳との関係
「腎は骨を主り、髄を生ず」といわれている。これは腎の精気が生長、発育を促進する機能をもっていることをいっている。「腎は骨髄を生ず」とは、骨の生長、発育、修復は腎気の滋養と活力によるものである。赤ちゃんや乳幼児の「おどり」がいつまでも閉じず、また骨軟化症になるなどは、腎の精気不足の症状である。腎精が不足すると骨髄がスカスカになって、足腰の軟弱が起こり行動が不便になる。
「歯は骨の余」といわれ、小児の虫歯、生えかわりの遅れ、大人の歯のゆらぎ、早く抜け落ちるなどは、みな腎気不足によるものである。
「腎は骨を主り、髄を生ず」、「脳は髄の海なり」といわれており、腎と脳髄とは密接な関係がある。腎気が不足すると髄海が空虚になり、めまい、思考遅鈍、記憶力減退、健忘などの症状が現れてくる。
「腎気は耳に通ず」、「腎、和すればよく五音を聞く」。腎気が充足すると聴覚は鋭敏になる。腎気が不足すると、耳鳴りや聴力減退などの症が起こる。年老いて精気が虚衰すると、耳が聞こえなくなる。
「腎は、・・・その華は髪にあり」とある。腎の精気の盛衰は、髪の潤沢と枯燥、生長と抜け毛と関係がある。年とって髪が抜けるのは、腎の精気虚の表れである。髪は血の滋養とも関係があるので、「髪は血の余」ともいわれる。