「かみつけの里ティーチャーズガイド」での疑問点・・・<製作中!>
質問書5ーその5 11/12(2021)
高崎市教育委員会 教育長 様
「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」に下記の記述があります(以下、項目①、項目②、項目③と記述)。
① 古墳時代には、大陸から来た新しい技術によって、それまで作れなかったところにも、たくさんの水田が切り開かれました(31ページ目相当・古墳ハカセになろう!・1ページ中段・5~7行目)。
② 馬の飼育は大陸から渡来人によってもたらされた新しい技術の一つです(33ページ目相当・古墳ハカセになろう!・3ページ中段・3~4行目)。
③ 王は、いち早く外国の技術の重要性に注目し、渡来人を呼び寄せて、水路を開き、広大な水田を切り開いた開明的な人でした。また、馬の飼育、鉄の加工など、新しい産業をはじめることでも地域を豊かにしました(35ページ目相当・古墳ハカセになろう!・5ページ下段・2~5行目)。
さて、国立公文書館所蔵「ホツマツタヱ」(内閣文庫)には、すでに縄文時代の日本に「水田を切り開く技術」「馬の飼育」「鉄の加工」が存在していたことを示す記述があります。また、10 ページ・中段「はにわのはなし②」で取り上げている日本書紀にも、日本武尊(ヤマトタケ (ル))が馬に乗って山越えをしたという記述があります(年代的には本件渡来人の時代より数百年前に相当、もちろん「ホツマツタヱ」にも同様の記述あり)。とするならば、上記「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」項目①~項目③の記述とは矛盾します。
歴史には様々な根拠に基づいた解釈があるとは思います。が、残念ながら、本件に関して、私が 調べた限りにおいては、項目1~項目3に関する明確な根拠であろうものを見出すことは出来ませんでした。
2ページ第1章・「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」・本文16~17行目に「博物館での経験が人々にどのように受け止められ、印象に残るかを調べる試みがすすめられてきました。」とあります。
もし仮に、項目①~項目③に明確な根拠が存在しないなら、その説明文には「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」をもとに「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」を学ぼうとする先生及び生徒たちに、自虐史観を植え付けようとしている、という意図が隠されているのではないか、といった危惧すら感じます。まさかこれこそが「博物館の教育理論」(2ページ・本 文12行目)なのだとは、到底思いたくはありませんが・・・。
このような危惧(自虐史観を植え付けようとしている)を払拭させ、確固たる「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」と「博物館の教育理論」を再確認し、「探求的な学びをつくりだすために」(13ページ・表題)、そして、「予測が困難で価値観の多様化が進む時代を生きる子供たちには自ら学ぶ力が必要」(13ページ・本文3~4行目)、これらのために、項目①~項目③の記述の 根拠は何かを、上記「博物館の教育理論」と言う記述なども踏まえ、具体的に教えてください。
質問書6ーその6 11/24(2021)
高崎市教育委員会 教育長様
「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」10ページ「はにわのはなし②」「埴輪は身代わり」って本当?、と言う欄に下記の記述があります。
「王の死後、殉死した家来を生き埋めにするかわりに埴輪を作って立てるようになった」という話を聞いたことがあるでしょうか。この話は、日本書紀に残っている伝説です。しかし、最近の研究により、この話には疑問符がついています。形象埴輪のなかでは、家や 盾・剣などの形をした器材形埴輪が先に登場しました。人物や動物などの埴輪はあとからつくられるようになったものです。また、古墳の発掘調査でも、家来を埋めたあとはみつかっていません。このようなことから、伝説は、埴輪の意味が忘れられた後につくられたものと考えられるようになっています。
さて、国立公文書館所蔵「ホツマツタヱ」(内閣文庫)には、埴輪の発祥に関して、次の記述 があります(「垂仁天皇28年・32年」)。
「いまよりのちは はしものお いけるにかえて みささきに うえてためしと なすべしや きみよろこびて みことのり なんぢがはかり わがこころ よしとはにわの たてものを のちのためしと さたまりて のみのすくねを あつくほめ・・・・・」
現代語訳としては、 「今後は人を生き埋めにする殉死の制度を廃して、代わりに土師物(ハシモノ)を陵墓に 植えることを慣わしとされては如何でしょうか」垂仁天皇は喜ばれ、次のように勅(みこ とのり)をされました。「汝の案は朕(ちん)が心をそのまま反映しており、大変良い」 この時から、陵墓に埴輪の立て物を植えることが、後の例(ためし)とされたのです。垂仁天皇はノミノスクネを篤く褒め・・・」
この「ホツマツタヱ」での記述を読むと、「はにわのはなし②」「埴輪は身代わり」って本当? の項目は、「本当!」の事のように思えます。
さて、歴史には様々な根拠に基づいた解釈があるとは思います。が、残念ながら、「はにわのはなし②」に関して、私が日本書紀を調べた限りにおいては、「垂仁天皇28年・32年」(ホツマツタヱと同じ箇所)にそれに該当するらしき場所が存在しますが、それだけでは、なぜ「は にわのはなし②」のような結論(「最近の研究により、この話には疑問符がついています。」および「伝説は、埴輪の意味が忘れられた後につくられたものと考えられるようになっています。」)になるかが判りません。むしろ日本書紀の記述でも「はにわのはなし②」「埴輪は身代わり」って本当?の項目は、「本当!」の事と解釈することは十分に可能だと思えます。とするなら「最近の研究」の中にその理由があると思いますが、残念ながら、私にはその明確 な証拠・根拠等を見出すことはできませんでした。
2ページ第1章・「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」・本文16~17行目に「博物館での経験が人々にどのように受け止められ、印象に残るかを調べる試みがすすめられてきました。」とあります。もし仮に、項目1~項目3に明確な根拠が存在しないなら、その説明文には「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」をもとに「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」を学ぼうとする先生及び生徒たちに、自虐史観を植え付けようとしている、という意図が隠されているのではないか、といった危惧すら感じます。まさかこれこそが「博物館の教育理論」(2ページ・本 文12行目)なのだとは、到底思いたくはありませんが・・・。
このような危惧(自虐史観を植え付けようとしている)を払拭させ、確固たる「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」と「博物館の教育理論」を再確認し、「探求的な学びをつくりだすために」(13ページ・表題)、そして、「予測が困難で価値観の多様化が進む時代を生きる子供たちには自ら学ぶ力が必要」(13ページ・本文3~4行目)、これらのためにも、上記及び以下の件を質問します。
「はにわのはなし②」の記述の根拠となる「最近の研究」とは何か、そしてそれを元にどのようにしてそのような結論を導き出したのか、その過程等も含め、(また、上記「博物館の教育理論」も踏まえ)詳細に教えて下さい。
参考記述 <国立公文書館ホームページより抜粋(省略)
質問書ーその8 11/24(2021)
高崎市教育委員会 教育長様
「かみつけの里博物館・ティーチャーズガイド」9ページ「こふんづくりゲーム」上段左文中に、「予算」「これは古墳づくりを実感するための仮定です。」「(古墳時代に「お金」があったかはわかりません)」 と言う記述があります。
歴史には様々な根拠に基づいた解釈があるとは思いますので、様々な仮定が入ってくるとは思います。今回のケースを考えた時、たとえ「古墳づくりを実感するための仮定」だとしても、学習者にその実感を植え付けると言うわけですから、「こふんづくりゲーム」学習者には、『「古墳づくり」には、「予算」や「お金」と言う概念が絡んでいるのだ』と言う実感を植え付けることになると思います。と言うことは、たとえ「古墳時代に「お金」があったかはわかりません」としても、「古墳時代に「お金」があった」蓋然性が高いことを前提として、かみつけの里博物館が 学習者に「こふんづくりゲーム」を紹介しているように私には思えます。
さて「はにわのはなし②」で言及している「日本書紀」を私が調べた限りにおいては、景行天皇の時代に日本武尊(やまとたけ(る))が御火焚(みひたき)の者に褒美(ほうび)を与えられた、と言う記述があります。考古学上ではほぼ4世紀頃の古墳時代に相当し、それを考慮すれば、この時代に「お金的なものが存在していた」可能性もあるとは思います。また、国立公文書館 所蔵「ホツマツタヱ」(内閣文庫)にも、ほぼ同じ箇所に同じような記述があります(「ほかははなふり(他の従者には賃金を与えられました)」
「ちからはあたひ(力をもって仕えたものに は対価の支払いを~」)ので、それと照らし合わせても、「お金的なもが存在していた」という可能性は十分に考えられると思います。ただし、「はにわのはなし②」では「日本書紀」の内容は否定的に書かれているように思われます。すると、同じく、上記「日本書紀」に書かれている「お金的なもが存在していた」という内容は、かみつけの里博物館としては否定的に捉えるのかもしれないとも思っています。
2ページ第1章・「博物館での学びと古墳を学ぶ意義」・本文16~17行目に「博物館での経験が人々にどのように受け止められ、印象に残るかを調べる試みがすすめられてきました。」とあります。また、2ページ・本文12行目に「博物館の教育理論」とあります。これらのことを踏まえ、「古墳時代に「お金」があった」蓋然性をどのように捉えているのか、それを踏まえて「こふんづくりゲーム」に「予算」や「お金」という概念を取り入れた根拠等を詳細に教えて下さい。
参考記述 <国立公文書館ホームページより抜粋(省略)